出会い・感動インタビュー
視点が動けば景色が変わり、より人生が楽しくなっていく。-高野登さん
スペシャルインタビュー第3回目のお客さまは元リッツ・カールトン日本支社長の高野登さん。では現在の職業はというと…高野さんの人柄を表すようなお答えが返ってきました!ホスピタリティの第一人者として数多くの講演を行い、ワクワク感をふりまく高野さん。常にチャレンジを続ける情熱の源泉や、ホスピタリティの本質についてお聞きしました。
高野登さん/人とホスピタリティ研究所所長
1953年長野県生まれ。プリンスホテルスクール(現:日本ホテルスクール)第一期卒業後、渡米。NYスタットラーヒルトン、NYプラザホテル、SFフェアモントホテルなどでの勤務を経て1990年にザ・リッツ・カールトン・サンフランシスコの開業に携わる。1994年、日本支社長に就任。2009年9月にザ・リッツ・カールトン・ホテルを退職し、同年11月に「人とホスピタリティ研究所」を立ち上げる。主な著書に『リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間』(かんき出版)などがある。
―人生をより深く味わうための高野流「チャレンジ」
実は今、「落プー」なんです。落選したプータローという意味で知人が付けてくれたニックネームですが、自分でもなかなか気に入っています(笑)。故郷である長野県の長野市長選挙にチャレンジすると決めて、昨年の9月末にリッツ・カールトンを退職しました。実質3週間弱の慌ただしい選挙活動でしたが、多くの人に支えられ全力で闘ったので充実感でいっぱいというのが正直な気持ちですが、結果は落選。651票差という結果を見て人は、「僅差でしたね」、「善戦ですよ」と言ってくれますが、そこは勝負の世界。たとえ1票でも差があれば、負けは負けです。
35年間のホテルマン人生を捨てて全く未知の世界に飛び込んだことで、いろんな声が聞こえてきました。「バカじゃないか」とも言われたけれど、僕自身は頭の切り替えと気持ちの整理ができていた。それは前向きな決断だったからです。長い間携わってきたホテル業界を離れるとはいえ、少しもマイナス面を感じなかった。もちろん大好きな仕事ですから、未練はたくさんありましたよ。だけど「ホテルという舞台」で自分がやるべきことを思い切りやらせていただいてきた、という感謝の思いの方が強いですから後悔は全くないんです。
もともと僕には、自分なりの選択基準というか、行動パターンがあるみたいです。それは目の前に2つの道があったら、面倒くさそうな、ややこしそうな方に行ってみるということ。楽な方を選ぶのは簡単だけど、大変なことがいっぱいあった方が結局は面白いんじゃないかな、と思うからです。そしてもう一つ決めているのが損得を考えないこと。どっちが得か、どっちが損か、そんなことを考えているよりもどっちが面白いかで判断する。そして目の前のことに120%の力でぶつかっていく。これが僕のチャレンジ精神のベースです。
ただ、必ずしもそれが全ての人に当てはまるとは思っていません。その人にとってどういう生き方が必要なのかを見極めることが本当に大事なことであり、それぞれの人生や仕事を全うするためのやり方はさまざまですから。ただし、他人の目を意識する必要がない、などというのは間違いだと思うんです。どれだけ人に認めてもらえるか、ということも大事な判断基準にした方がいい。だって「自分へのご褒美」って言うけど、ご褒美って人からもらった方が何倍も嬉しいでしょう。「ありがとう」という一言で、生きていてよかったと思えることだってある。そもそも、僕は直感やイメージを大事にする右脳型人間なんです。もちろん頭に浮かんだことをそれなりに考えてから行動に移しますが、右脳の感覚は左脳に比べてケタ違いに強いです。つまり左脳が弱い(笑)。昨年の選挙にしても、自分のやってきたホテル経営やブランディングが地方行政に活かせるのでは、と思ったから。何か特別に大きなビジョンがあったわけではないですが、それでも人生の転機となる場面では大小さまざまなイメージが浮かんでくることが多いんです。
―自分を変えてくれたきっかけと海外生活
ホテルマンを志すことになったきっかけも、なぜかその世界で生きている自分がイメージできたからなんですよ。でも、当時の周囲はびっくりして、親や学校も大反対。だって高校までの僕は、人見知りで内向的で、今で言う“根暗”に近い人間でしたからね。ごく限られた仲間の間では騒いで楽しい時間を過ごすけど、心を開いて他人と深く付きあうことが苦手でした。なるべく人前に出ないような職業を選ぼうとしていたぐらいだったんです。でもたまたま受験雑誌に入っていたプリンスホテルスクール(現:日本ホテルスクール)開校案内のハガキを見たときに、そこで働いている自分の姿がビビッドに浮かんできたんです。それまでのホテルの知識といえば、せいぜい田舎の旅館か温泉ホテルぐらいで、大都会のホテルになんか行ったこともなかったし、自分とはまるで対極にある世界だったのに。
しかし、人には決められた枠なんてないんですね。自分で思い込んでいる枠の中に自分を閉じこめているだけ。新しい環境に飛び込んだことでそれに気付き、僕自身を大きく変えてくれました。スクール一期生ということもあって、集まってきた顔ぶれは目的も経歴もバラバラ。もちろん性格も多彩です。その中で生活し、学び、もまれていくことで、ゴリゴリッと音を立てて自分の殻が破れ、変わっていくのが分かりました。そんな濃い時間を過ごしたせいでしょうね。今でも同期生は仲がいいんですよ。
そして在学中に修学旅行でアメリカに行ったときに浮かんだのが、「この国で仕事ができたら面白いだろうな」というイメージ。そして「アメリカで働きたい!」という強い思いが生まれたんです。そのときも周囲はものすごく驚いていましたよ。親には2年で帰ると言ったものの、気づいたら20年の長い海外生活になっていました。いろいろなホテルに勤務する機会に恵まれ、その経験はホテルマンとして、また人間としても分厚い土台となって僕を支えています。
NYプラザホテルやNYスタットラーヒルトンなどでの勤務は、全てそこの社長や支配人との出会いがきっかけになっています。だから、僕が一所懸命に仕事をする理由は、その先に必ずいい出会いが待っていると信じているからなのです。僕自身はがむしゃらに出会いを求めているわけではなく、そのとき自分がやるべきことを全力でやるだけ。そうすると、スッと誰かが現れて次のステージへと運んでくれることがあるんです。それも運の一つじゃないかな。運は運ばれてくるものと、切り開いていくものがあると思う。僕は、文字通りに「運」って「運」ばれてくるものだと思っています。どっちがいいとかではなく、僕の場合は「運ばれていく」生き方をしているんでしょうね。