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出会い・感動インタビュー

―マイナスを、プラスに

玉田 さとみさん

誰も手を貸してくれないと分かったら、どうしますか?私は、自分でやるしかないと覚悟ができました。とにかく、ありとあらゆる勉強会や研究会に顔を出して、話をする。それがスタートでした。講演会などもテーマやジャンルを問わずに出かけていき、一番前の真ん中に座る。そして、最後の質疑応答の時間が勝負。本題への質問に入る前に、ほんの1分だけ自分の活動をプレゼンするんです。講演が終わったとき、興味を持った人が集まってきてくれたり、各地で話を広めてくれたりする。いろんな人が応援者になってくれるんです。主人と私と何人かのメンバーで、3年くらいで1000回以上は行ったでしょうか。

東京都の石原知事にも訴えて、時間こそかかりましたが教育特区の申請にこぎ着けました。どんなに苦しいこと が続いても、頑張って続けていると、ある時期から突然、味方がどんどん増えていくんです。そして、目の前の壁がいつの間にか消えたり、誰かが壁を取り除いてくれたりする。あきらめなければ夢は目標に変わり、目標になったら達成できるということを身を持って体験したのです。

本当に多くの方たちの支援を受けて、日本で初めて、唯一、聞こえない子が「日本手話を学び」「日本手話で学ぶ」私立ろう学校が誕生しました。ここでは、日本手話を第一言語、書記日本語(読み書き)を第二言語とするバイリンガル教育が行われています。

玉田 さとみさん

友人ろう者の「生まれたときから聞こえないから、私にはそれがフツーなの」という言葉も私の背中を押してくれました。そんな考え方もあるんだ、そうだ、 そのままでいいんだ、と私自身が気付かされたんです。聞こえる状態に近づけるってことは、今の状態を否定することになるのですから。それより大人である私 が、子供の世界に行けばいい。それは自然な行動でした。手話を使うと日本語ができなくなる、聴者に日本手話は覚えられない、親が覚えた日本手話で子育てはできないといった話は、手話を遠ざけたい人たちが作り出 した根拠のない迷信でした。実際、私は子供と日本手話で楽しく会話していますから。だって、自分の子供がフランス語しかしゃべれなかったら、フランス語をしゃべりたいと思うでしょう?覚えて話をするでしょう?それと同じことですよ。

―これからの明晴学園

明晴学園の設立から約2年が経ちましたが、今は0~3歳の乳児クラスから、13歳の中学一年生まで、44人の子供たちが学んでいます。教える先生は、日本 手話ネイティブのろうの先生をメインに、聞こえる先生もいます。校内の会話はすべて手話ですから、ここでは聴者の方がマイノリティなんです。

明晴学園を作る過程で、ろう児は“聞こえない子”ではなく“手話で話す目の人”という新しい価値観に多くの方が賛同してくれました。今後は、それを社会の常識にしていきたいと考えています。最近、バリアフリーとかノーマライゼーションという言葉を聞くようになりましたが、「障害」って誰のどこにあると思いますか?聞こえない人の耳や見えない人の目にあると考えている間は、障害はなくなりません。逆に、社会側にあると考えると、障害は限りなくゼロに近づけることができます。なぜなら社会は変われるからです。例えば、聞こえない人が生活しやすいように、音情報は可視化する。見えない人のために視覚情報を音情報に替える。車イスが自由に動ける街づくりを進める。 それをやるかどうか?が大切なことで、やらない気持ちが「障害」なんです。つまり、「障害」は健常者の心にあり、障害者ではなく「障害社」なのです。この考え方だと、「障害」をなくす工夫からビジネスも生まれ、いずれ超高齢社会の街づくりにも発展すると思うのです。

BBED(NPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター)では、「手話・筆談!さんせい会員」を募り始めました。これは、ろう児に「声を強要しない」「筆談に笑顔で応える」「手話を言語として認める」という、3点に賛同してくれる会員です。目標は3年後に1万2千人、10年後に12万人。この目標には意味があります。ろう児は1000人に約1人の割合で生まれてくるといわれています。日本の人口1億2千万人のうち 1000人に1人がろう児を応援してくれたら、彼らを取り巻く環境はきっと変わると思うからです。

考えてみると、こんなことを始めてからもう10年経ってしまいました。でも、最初からずっと変わらないのは、ろう児が存分に力を発揮し、その力を正当に評 価できる社会をつくること。それは、すべての人が「違いを認めて、互いを尊重する社会」なのだと思います。それを真ん中に置いて、フリースクールや明晴学園、企業や行政などが周りにある。みんなで、最終的に真ん中のミッションにたどりつけばいいんです。そうすれば、自分たちのやるべきことや、立ち位置がハッキリと見えてくる。その考え方は今後も変わらないでしょうね。最初は困難だと思えたことが、こんなにも人生を輝かせてくれるとは、想像もつきませんでした。日本中のろう児のためにいい社会を作っていくことが、楽しく日々を送れる源になっているのですから。

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